JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク

特別公開『独逸医家の風貌』

2022.09.13-2022.12.11
HOMAGE+COLONNADE 3

 かつて東京大学医学部附属病院内科講堂には、内科学歴代教授の肖像画・肖像写真44点が演壇背面の大壁面に五段にもわたって掛け継がれていた。この壮観なパノラマは、内科講堂があった内科研究棟の取り壊しにともない失われることになったが、肖像画・肖像写真群は、東京大学の歴史を伝える貴重な学術標本として2015年に東京大学総合研究博物館のコレクションとなり、その一部が特別展示『医家の風貌』(2016年12月20日−2021年2月21日)としてインターメディアテクにて公開された。現在は、インターメディアテクの常設展示内で本肖像画・肖像写真コレクションのうち19点を見ることができる。このなかには、明治期に西洋近代医学を日本に伝えた独逸人内科学教師のホフマン(1837−1894)、ウェルニッヒ(1843−1896)、ベルツ(1849−1913)の肖像写真3点が含まれている。東京大学医学部で教鞭をとった独逸人教師の肖像写真が、なぜ日本人の歴代教授の姿と並んで内科講堂に掲げられてきたのか。これは、日本医学の発展に対する彼らの貢献の大きさと後進たちが彼らに向けてきた尊敬の深さの表れにほかならない。本展示では、これら3点の肖像写真に改めて光を当てるとともに、総合研究博物館が所蔵する近代医家三宅一族旧蔵コレクションより、日本の西洋医学黎明期に活躍したお雇い外国人や東京大学医学部独逸人教師の肖像写真および関連資料26点を公開する。これらは、日本初の医学博士の一人で、独逸人教師の通訳を担当し、彼らと親交した東京大学医学部教授の三宅秀(嘉永元[1848]−昭和13[1938])の手元にあった資料が中心となる。上述の内科学教師のみならず東京大学で外科学を教授したミュルレル(1824―1893)、シュルツェ(1840−1924)、スクリバ(1848−1905)らのさまざまな「独逸医家の風貌」を通して、日本の近代医学の発展の礎となった独逸医学導入の歴史の一端を振り返りつつ、明治新政府が独逸医学の導入を決断する際の立役者となった相良知安(天保7[1836]–明治39[1906])を顕彰した石碑(拓本)など、今日の東京大学キャンパス内に残る独逸医家関係の文化資源にも注目したい。

主催 東京大学総合研究博物館

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