2016.10.04-2016.11.27
COLONNADE2
2016年は日本とベルギーが外交を樹立して百五十年目にあたります。この節目の年にあたり、「インターメディアテク」では、両国間の学術交流のさらなる発展を願い、館内コロナードに設置された「大地球儀」を紹介する小企画を実施することになりました。
ベルギー地理学協会製造「地球儀(8百万分の1)」
1923年9月の関東大震災で、東京帝国大学は壊滅的な打撃を被った。書籍の焼失だけでも50万冊をゆうに超えたろうと言われる。被災の惨状は直ちに海外でも報じられた。各国から支援の申し出が寄せられるなか、ベルギーからも帝大に義援金と書籍寄贈の申し入れがなされた。
ベルギーから義援金の申し出を受けた帝大当局は、その浄財を地球儀の製作に充てることとした。震災後に復興された新図書館にそれを設置し、ベルギー国民から寄せられた厚情を末永く記憶するものにしたいと考えたのである。しかし、製作には思いのほか時間がかかった。ベルギーから地球儀が届けられたのは1937年末のことだったからである。時代は、やがて日中戦争が勃発しようかという、重苦しい雰囲気に包まれていた。そうしたきな臭い国際情勢のなかにあっても、ベルギー国民は15年前の約束を反古にしなかったのである。
この話には前史がある。第一次世界大戦の最中、破竹の勢いで進撃を続けるドイツ軍がベルギーに侵攻した。ヨーロッパ屈指の歴史を誇るルーヴァン大学もまた戦禍に飲まれた。30万冊の図書を焼失させたドイツ軍の蛮行は全世界に衝撃を与えたようで、大戦が終結すると「国際連盟」加盟国を中心に、大学図書館の復興事業が始められた。日本にも国内委員会が設置された。指揮を委ねられたのが、欧州に学び、国文学と図書館学の権威とされる帝大文科大学教授和田萬吉博士であった。
関東大震災が起こったのは、そのすぐ後のことであった。長く帝大図書館を率いてきた和田は、震災での蔵書焼失の責任を問われ、館長職を辞することになるが、震災翌年からの2年間で、ルーヴァン大学に対し貴重書1万4千冊の寄贈を実現する。ベルギー国民は戦災復興事業における日本の国際貢献をよく認識していた。ベルギーからの震災復興支援の申し出には、ルーヴァンと東京を結ぶ学術交流の前史があったのである。
その事実を証する大地球儀は、附属図書館から総合研究博物館へ管理換えされ、現在、「インターメディアテク」で常設公開されている。ベルギーから届けられた地球儀が、なぜ白地図のものだったのか、経緯は定かでない。当時の記録には「日本側の好みを考慮し、彩色を施さず白地のままなり」とある。彩色は1939年に始められた。国際関係が微妙な時期に、帝大側がどのような思いをもって地図を色分けしたのか、その心情を問わずにはいられない。
主 催:東京大学総合研究博物館
後 援:ベルギー王国大使館