2016.02.09-2017.01.29
SPECOLA
第四回ケ・ブランリ・トウキョウでは、パプアニューギニアの部族がヤム儀式のために彫った多彩像5点を展示します。
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男性彫像に彩色が施されている。賦彩に用いられた顔料は自然界から採られたものなのだろうが、人造顔料にありがちなけばけばしさなど微塵もない。彩色を施す、とはすなわち「飾り立て」ることに他ならない。「飾り立て」は普段の生活圏や時間相を超え、別な次元へ突入するための戦略である。化粧による変身は、そのもっとも卑近な実践例である。未開社会からもたらされた神像には、多彩色を施したものが多い。それは、像の姿を借りて表現された者が、超越的な権力、不可思議な魔力を有する存在であることを示そうとする意志の顕れなのである。どこを何色で彩色したらよいのか。色の造形的な選択や象徴的な意味は、民族、信仰、時代、地域によって多様であり得るにしても、「力」を色彩の現前によって示そうとする造形意欲は、洋の東西を問わず、人間社会の普遍的な性向と言ってよい。企画名「原色の呪文」は、あの岡本太郎の著作の表題から採られた。日本を代表する前衛美術家として知られた岡本は、若くしてパリへ渡り、ミュゼ・ドゥ・ロム(人類博物館)に通い、マルセル・モースの許で文化人類学を学んでいる。世界各地の未開社会からもたらされた多様な造形物にただならぬものを肌で感得したためだろうが、岡本は始源美術の有する呪術的な力の虜となった。その怪しい魅力の拠ってきたる所以のひとつは、非西洋的な色彩感覚にある。岡本が民族学資料を見て驚喜した理由もそこにあったのである。
西野嘉章
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多彩男性像(ポリクロメール)——パプアニューギニアの彫像とヤム儀式
パプアニューギニアのいくつかの文化的集団では、ヤム芋(dioscorea spp.)の耕作、収穫、及び儀式を巡る儀礼的周期が発展させてきた。基本的な栄養源であるヤムは、人類の多産や畑の豊穣、また今日のわれわれの世界における祖先との交流において、強固な象徴的地位を占めている。
セピック川流域及びワシュクク山地に住むクウォマ族は、ヤムの栽培と収穫の周期を「イェナ」、「ミンジャ」、「ノクウィ」という三つの相次いで行われる儀礼で構成する。これらの一連の儀礼には、歌、踊り、そして彫像が結びつけられている。彫像は一族に共通した儀礼堂の中で公開される。これらの秘伝的な像の役割は厳密に規定されているが、その秘伝を完全に授与された者以外は詳細を知ることができない。したがって、人はそれら彫像の表象のみを見ることはできるものの、その背景にある神話全体に通ずる名前や意味を知ることはほとんどない。
アベラム族は、自分たちの20世紀の彫像を呼ぶ際に、「ワピニャン」という言葉を用いる。これは、「ワピ」がヤムを、「ニャン」が息子あるいは娘を意味するため、「大きなヤムの子どもたち」という意味となる。3メートル長にまで達する大きなヤムの栽培は一族の強健な男たちが担い、男たちはそのために技術的、呪術的、社会的知識を統合することが求められる。ひとたび収穫されると、ヤムイモは羽毛や編み細工の頭飾りで飾り付けられ、男とその一族の生産的能力を象徴するものとして、非常に価値の高い芸術品に変えられる。
彩色された彫像は、通過儀礼期間に用いるために作られたと考えられる。彫刻と彩色が施された彫像は、その儀礼を受ける者とは切り離され、「クランブ」と呼ばれる儀礼堂の中の様々な「部屋」に置かれた。この巨大な建造物は、ニューギニアの北海岸沿いにあるプリンスアレクサンダー山地の村の中心に建っていた。
イヴ・ル・フール
企画構成:イヴ・ル・フール(ケ・ブランリ美術館コレクション部長)
後援:クリスチャン・ポラック氏+株式会社セリク
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ケ・ブランリ・トウキョウについて
世界中にはさまざまな文明が生み出した力強く不思議な形態が存在する。その多様性は驚くばかりであるが、これらを日本で目にする機会は少ない。そこで、パリのケ・ブランリ美術館のコレクションから選りすぐりのアイテムをここに展示し、ひとつの邂逅の場として設えた。この展示は、周囲の東京大学コレクションと時に共鳴し、時に対立することで、見る者に対し、人類が大いに関心を寄せるべき問題を投げかけるだろう。本プロジェクトはケ・ブランリ美術館とインターメディアテクとの新たな文化的・学術的協働からなる。これによって、フランス国立ミュージアムが東京の中心に長期的活動拠点を獲得することになった。人々がもつ既存の世界観の転換を図るべく、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの諸地域から象徴的なアイテムを選定し、定期的に展示更新を行う予定となっている。本拠点がすべての文化、時代、領域の交叉する創造的結節点として機能するために、ケ・ブランリ美術館とインターメディアテクはいままでにない方法論を共有し、分野横断型のミュージアム活動を推進していく。
企画:東京大学総合研究博物館+ケ・ブランリ美術館
後援:クリスチャン・ポラック氏+株式会社セリク
ケ・ブランリ美術館
ケ・ブランリ美術館は、2006年6月パリに開館した。アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカ美術を展示していたルーヴル美術館の「パビリオン・デ・セッション」を前身とする。ジャック・シラク元大統領(1995-2007年)が建設計画を推進し、建築家ジャン・ヌーベル(2008年プリツカー賞受賞)が設計を担当した。西洋中心主義を脱し、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの芸術や文明に対し、文化的・宗教的・歴史的影響が交差した複眼的な視点から、それらにふさわしい評価や解釈を行うことに活動の中心を置く。学術的・芸術的対話のための場所として、また、市民・研究者・学生・現代芸術家をつなぐ交流拠点として、さまざまな展覧会、コンサート、催し物、シンポジウム、ワークショップ、上映会を定期的に開催している。
ケ・ブランリ美術館 公式HP
写真© musée du quai Branly, photo Claude Germain