2014.06.07-2016.02.27
MODULE
本展示は森羅万象のまとう「フォルム」を「自然模倣」と「抽象化」の二つの傾きから観想しようとする試みである。
事物は「フォルム」を纏っている。事物の纏う「フォルム」は、万象がそうであるように、装いも無限である。そのことをひとまず認めた上で、そこには「良いフォルム」と「悪いフォルム」の二通りしかない、といったら言い過ぎだろうか。「良いフォルム」は必ずしも美しい事物だけに限らない。醜いとされる事物のなかにも、「良いフォルム」は存在し得るからである。「フォルム」は表層的な判断に与らない。属性として事物の本質に関わるのである。
「美」とはなにか。その判断基準は時代や地域や集団によって異なる。「美」の概念は、時々の文化の傾きによって規定されるものであり、普遍的な尺度と言えるものは存在しない。美醜の裁定を下す前に、価値観の多様性を認め合わねばならないのである。
美醜の判断は心理的なものに左右され易い。これに対して、「フォルム」の善し悪しは生理的であり、ある種の普遍性さえ備えていると言ってもよい。左右の対称性、閉じた系としての円や環、同一形態の繰り返しから生まれる律動感、規則的な反復といったものは、いつの時代にも繰り返し登場するからである。生理的な判断と心理的な受容は微妙に異なる。歴史のなかで連綿と受け継がれてきた事物のなかには、「良いフォルム」をもつものが多い。
人為的な「フォルム」には、対立し合う二つの傾向が認められる。ひとつは自然模倣的な傾きである。この傾向のゆき着く先には、人や動植物の姿形を思わせる有機的な「フォルム」がある。こうした「フォルム」は、人と自然が対立する関係になく、融和的な関係を保っている集団の所産に多く現れる。その端的な顕れは、神の存在を人の形姿で表現しようとする造形姿勢に見られる。もうひとつは抽象化の傾きである。人為的な造化物に認められる幾何学的な「フォルム」は、人間特有の性向の顕れと見られる。これは自分の手になるモノである。そうした自己中心的な考えを映し出しているのが抽象的な「フォルム」なのである。これは反自然的な存在としての機械の形状に端的に示されている。
人が創り出す事物は様々である。道具もあれば、神像もある。貨幣もあれば、楽器もある。機能性が求められることもあれば、象徴性が求められることもある。また、素材に加工を施すことで付加価値を付そうとしたものもある。「美」の概念は相対的なものに過ぎない。制作者の意図に適っているかどうか、その充足度の如何をもって、人は美醜を判断する。結果的に、美しいと認識されるものが、「良いフォルム」を纏う事物なのである。
主催:東京大学総合研究博物館