2023.04.25-2023.09.03
FIRST SIGHT (GUIMET ROOM)
本企画は、東京大学総合研究博物館所蔵資料から、東大植物学とその発展を支えた植物画制作の歩みを紹介するシリーズ展示の第4回となります。植物学者・牧野富太郎の代表的な仕事の一つで、東京帝国大学が刊行した出版物『大日本植物志』には、植物学者として自身で精密な植物画を描いた牧野が単独で手がけた図版のほかに、牧野と植物画家・山田壽雄との協同制作になる図版4点が掲載されています。山田は、牧野に描画指導を受け植物を専門に描くようになり、後に「牧野が最も信頼した植物画家」といわれるようになります。今回は、『大日本植物志』第1巻第4集(1911年)より、牧野と山田の両名が図版の原画の作者として確認できる、第12・第13・第14図版(モクレイシ)および第15図版(オオヤマザクラ)をすべて公開します。
主催:東京大学総合研究博物館
●『大日本植物志』について
『大日本植物志』は、植物学者・牧野富太郎(1862−1957)が単独編集し、東京帝国大学理科大学植物学教室が編纂、東京帝国大学が刊行した出版物である。掲載された図版は全16点(うち1点は写真)で、フォリオ判の大型判型いっぱいに描かれた緻密な図版を特徴とする。第1巻第1集は1900(明治33)年、第2集は1902(明治35)年、第3集は1906(明治39)年、第4集は1911(明治44)年にそれぞれ発刊された。これらの出版は、牧野が日本の学術水準を諸外国に示す目的で、植物の綿密かつ正確な記載と図を備えた日本植物誌の刊行を進めた成果であった。それより以前に牧野は、当時の日本にまだなかった完全な日本植物誌を構想して『日本植物志図篇』(1888−1891年)を著しているが、それは未完に終わっていた。『大日本植物志』は『日本植物志図篇』に代わるものとして、同時期に刊行された『新撰日本植物図説 顕花及羊歯類部』(1899−1903年)とともに、牧野がほぼ単独で取り組んだ出版物として位置づけられる。しかし、それらもまた日本の植物相を網羅する植物誌としては未完となった。
牧野富太郎は自身で植物の精密な図を描き、その詳細な解説文を綴ることのできる稀有な植物学者であった。牧野は極細の筆線で植物体の形や細部を表すことに長けており、その細い線を牧野はネズミの毛で作った特別の蒔絵筆で描いたといわれる。『大日本植物志』に載る図版のもつ精緻な表現は、牧野の優れた原画に加え、当時の高い印刷技術により実現したと考えられる。山田壽雄(1882-1941)は、明治の終わりから昭和初期にかけて活躍した植物画家で、牧野の指導のもとに植物画制作の研鑽を積み、『牧野日本植物図鑑』(1940年 北隆館)の図を分担作画した人物である。『大日本植物志』には、全16点の図版のうち、牧野と山田との協同制作になる図版4点が収められている。この協同制作は、自身が描く植物画の表現の質の高さを誇った植物学者・牧野が植物画家・山田に寄せた信頼の表れといえるだろう。