2018.03.06-2018.04.15
PANTHEON
東京・春・音楽祭と東京大学総合研究博物館の協働により、上野恩賜公園(東京文化会館北側)での屋外写真パネル展示、モバイルミュージアム『モダンの曙――幕末明治ニッポンの面貌(かお)』が開催されます。この屋外展示の開催期間中、インターメディアテクでは、幕末維新期の貴重なオリジナルプリントを特別公開いたします。
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全体としてわずか20点の、しかも多くが名刺判大の、退色の進んだ鶏卵紙(けいらんし)写真に過ぎない。とはいえ、これらの写真には、紛れもなく、幕末から明治初年にかけて極東の島国に生きた人々の姿が生(き)のままに記録されている。パリの写真家ナダールの作品になぞらえて言うなら、これこそまさしく「維新の日本」のコンテンポラリー・ギャラリーに他ならない。
これらの写真には、嬰児(えいじ)から老人まで、齢も多様な人間が登場する。人物類型も変化に富んでやまない。「神」と崇められた天皇を筆頭に、武家社会の頂点に立った徳川将軍、幕府名代として欧州へ遣わされた大名、役人、通詞、さらには来日外国人から、名もなき兄弟姉妹、母子、商人、職工まで、様々な社会層が含まれているからである。
写場に入り、幕前に立つなり、椅子に座るなり。いずれにせよ暗箱の前へ身を晒すことになった理由は、公人も私人も様々である。しかし、いずれの写真にも通有なのは、肉体を縛る「緊張」であり、眼差が物語る「当惑」である。それは、いまだ見慣れぬ光学的記録装置と向かい合ったときに、人々の抱かざるを得なかった複雑な感情の顕れなのではなかろうか。「近代文明」は個人の意志と関わりなく伝統社会へ浸潤(しんじゅん)してきた。その、眼に見えぬ圧力を対峙(たいじ)する人々の面貌(かお)がここにある。
欧米の人々は、写真や絵画を通じて、「ショウグン」「サムライ」「ゲイシャ」など、日本人の「ステレオタイプ」を結像させることになった。それらがいまなお海外での日本人像を支配していることは否定し難い。ひとたび視覚へ刷り込まれたイメージは、容易にぬぐい難いのである。
百家の面貌(かお)を記録した写真は、失われて久しい、慎ましくも、豊かな「維新の日本」の形象的現実そのものと言える。
西野嘉章
インターメディアテク館長
企画構成 西野嘉章+クリスチャン・ポラック
主催 東京大学総合研究博物館+東京・春・音楽祭実行委員会
協力 株式会社セリク