2016.05.28-2017.02.17
GREY CUBE
「富士」は日本を代表する名山として古くから人々に親しまれてきた。国内に数多ある山のなかで、2013年、富士山がユネスコの、自然遺産でなく、文化遺産として登録されたには訳がある。富士山は日本人にとって「霊峰不二」であり、精神文化の拠り所として格別の意味をもっているからである。
古来、日本文化の象徴的な存在としてあり続けた富士山を、科学の眼で半世紀以上に亘って見つめ続けた一人の日本人がいる。徳川幕府で老中職を担った福山藩出身の阿部正直(1891-1966年)である。武家の名門の第15代当主となった阿部は、雲に関する研究をおこなうべく、1927(昭和2)年、富士山麓の御殿場の高台に「阿部雲気流研究所」を創設し、富士山に生じる山雲と気流に関する膨大な観察記録を残した。幼少期に「活動写真」(キネマトグラフ)の国内初上映の場に立ち合うという僥倖に恵まれた阿部は、爾来、変容するものを捉える画像の魅力に取り憑かれ、自らの研究対象である雲の観察にそれを応用すべく、様々な観測記録機器を考案し、気象現象の記録採取に情熱を傾けた。
雲研究において写真が有効であることは、19世紀後半以来、各国の研究者の間で知られていた。しかし、映画手法、とりわけコマ落とし撮影と立体映画撮影をそれへ適用しようという着眼は、気象学の分野における世界初の創意であった。日本を取り巻く、当時の複雑な国際情勢のなかで、阿部の業績がグローバルな評価を獲得し得なかったのは、たしかに不幸なことである。しかし、山雲の観察記録という口実の下に阿部の残した「富士山と雲」の大判ヴィンテージ・プリントは、今日ではもはや見ることの叶わぬ、戦前の富士の山容を捉えた写真芸術品として見事である。
本展はこれまで知られずにきた「雲の伯爵」阿部正直の遺産を通じて、葛飾北斎が浮世絵版画『富岳三十六景』で表現し切れなかった「富士」の実貌を、改めて国内外の公衆の前に明らかにしようとするものである。
主 催:東京大学総合研究博物館
協 力:社団法人「蟲喰鷹ノ羽」、御殿場市教育委員会、ヘルムート・ヴェルター