哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが設計した住宅が1928年にウィーンに完成した。クリムトの肖像画でも知られる姉のマルガレーテ・ストンボローの邸宅である。建築家アドルフ・ロースの弟子のパウル・エンゲルマンが設計を始めていたが、途中からウィトゲンシュタインも参加して主導した。直方体を組み合わせた、整然とした立面の、無装飾な建築である。そこにロースやモダニズムの影響を読み取ることもできるが、むしろ時代の動向を超越した孤高の精神の産物にみえてくる。建築における構成の論理的な整合性、部位の配列規則や対称性、技術的な精度に対する強いこだわりがあったことが知られている。1/2ミリの施工誤差も許されなかった。このようなウィトゲンシュタインの徹底した厳密性が、哲学者としての思索と無縁であったとは考えにくい。前期の主著『論理哲学論考』(1922)は、「世界と言語」の対応関係から哲学の諸問題を解決しようとした書として知られる。「世界は事実の総体」であり、事実は成立した「事態」であり、事態は「対象(物)」のつながりで成立している。「事態と対象」を世界の基本単位と規定し、一方で論理形式を共有する「命題と名辞」を言語の単位とする。そして世界と言語は「像が現実を写しとる」という「写像」の関係で結ばれているとした。「像」とは現実の模型であり、要素命題などの形で表現される。筆者には『論考』の内容に立ち入る素養はないが、ウィトゲンシュタインの建築が、論考と同様の思考の枠組のもとで、彼の構想を空間に写しとるプロセスを徹底して繰り返してきたように思える。しかし論考の末尾にあるように、「語りえないことについては、沈黙しなければならない」。
松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)
Fumio Matsumoto