展示更新した「山田壽雄植物写生図」のなかで、ヒツジグサは大きな葉の緑の色面とその上に配された白い花が一際目を引く一点である。裏面には「ヒツジグサ(自然大)メイヂ43.9.9」との書付がある。『牧野日本植物図鑑』のヒツジグサ(1734図)は、本図を下図として利用したものと推定されている。牧野富太郎は同図鑑の解説に、ヒツジグサの名の由来は羊の刻(現在の午後2時)に咲くことからきているが、開花時間は一定ではなく、これより早い時もあると書いている。梨木香歩の小説『家守奇譚』は、各章題に植物の名を冠し、主人公の文筆家・綿貫征四郎が亡くなった友人・高堂の実家に家守りとして住まうなかで遭遇した不思議な出来事を綴った作品である。ヒツジグサの章は、庭の池で律儀に羊の刻に花を咲かせるヒツジグサが風鈴の音に反応して「けけけっ」と鳴くという音の描写が鮮烈で、とりわけ印象に残っていた。主人公がよくよく水面を見ると、ヒツジグサが群生していると思っていたところに河童のお皿が一枚浮いていた、つまり鳴いていたのは池に迷い込んだ河童であったという展開に、そうかヒツジグサが鳴くなんてと思ったがあの鳴き声が河童のものならさもありなんと、妙に現実味のある納得感を抱かされる。山田の描いた図を今一度よく見ると、長い花梗が葉を囲み、その間が薄水色に彩色されており、葉が水に浮かんでいる様子を表現していることがわかる。葉と花梗の隙間の水面に河童のお皿なるものが写し取られていないか、洒落心半分、「けけけっ」という鳴き声に耳を澄ませながら、さらによくよく覗き込んでみたくなった。
寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)