旧制第一高等学校の卒業生と在校生による同人誌『世代』に掲載された、加藤周一の「新しき星菫派に就いて」は、若き日の輝く仕事とはかくあるべしという憧れの対象だった。しかし、どんなに努力したとしても、私にはもう同様のことは為しえない。時間は平等であり、残酷でもある。このエッセイでは、加藤が戦争の世代の文学青年らを舌鋒鋭く批判する際に、「星の運命と菫の愛」を唱い賛美する無力・無学の者たちよと、スミレは星と並んでやり玉に挙げられてしまう。3階に展示中の本写生図を眺めながら、スミレが出てくるこのエッセイを思い出したのではあるが、山田壽雄の植物画家としての堅実な仕事ぶりをそこに見出すと、このスミレは「星菫派」などという軟弱な呼ばれ方など意に介さないかのように、凛として見える。1940年に出版された『牧野日本植物図鑑』318頁に掲載されている第952図の「すみれ」は、山田による本写生図とほぼ同じ構図をとっている。牧野富太郎は同書の序文にて作画に関わった三人の画工の名前を挙げており、山田はそのうちの一人であるので、「すみれ」については山田の本図が下図として用いられたのだろう。裏面には「大正14. 5. 5」とあるため、おそらく本図の制作年代は図鑑の出版よりも15年ほどさかのぼる。山田はこの年43歳、図鑑の出版年には58歳であった。同年、牧野はと言えば78歳である。まだまだこれから。いい仕事を目指して努力を惜しんではならない。このスミレはそう私に言っているのかもしれないと考えると、口元がほころびつつも背筋が伸びる思いがした。
寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)