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HAGAKI
研究者コラム

スケッチ

 旅行にはカメラとスケッチブックを持っていく。フィルムカメラの頃は、長旅だと荷物の過半がフィルムになることもあった。それでも撮るときはアングルを厳選してフィルムの使用を抑制した。デジタルカメラになって装備は身軽になり、撮影枚数は1日で500枚に及ぶこともある。情報総量はデジタルが圧倒するが、1枚の決定力はフィルムに分がある。写真に比べると、手描きのスケッチの頻度はずっと少ない。描くのに多少なりとも時間がかかり、そう立て続けには使えない。しかし描きたくなる対象に出会うことは旅の大きな喜びである。位置を決めて腰を据え、スケッチブックを開き、ホルダー鉛筆を走らせる。スケッチは観察の記録である。描き始めると、見えていなかった様々な構成や細部に気づかされる。写真ではシャッターを押した瞬間に忘れてしまうが、スケッチは描いたときから記憶が始まる。少し時間を置いて宿に戻ったときなどに、同じ対象について別のスケッチを描くこともある。実際は見ていない俯瞰図や断面図など、半ば想像の産物のような図像である。昨今は外に出かける機会がぐっと減り、日常世界は均質な情報画面の集積になりつつある。手描きのスケッチを見ていると、対象とのリアルな距離感が鮮明によみがえる。(添付図はレバノンのバールベック神域で描いたもの)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授

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