書物が好きで、しかも蒐集癖がある。すると身の回りの各所に本が平積みされ、やがてそれらが柱状に成長し始めることになる。私の場合、もっとも太い柱をなしているのが雑誌である。明治初めから戦前にかけ発行された美術雑誌を片端から集める。そう考え始めたのはかなり以前のことである。動機は紛れない。国内には本当の意味で頼りになる美術雑誌アーカイブがどこにも見当たらないという事実に気がついたからである。有力な出版社であるなら、少なくとも自社発行の雑誌くらい、社内のどこかにコンプリート・セットを保持していて不思議でない。否、そうあるべきであり、それが出版社の負うべき社会的な責任というべきものであろう。そう思っていたのであるが、その考えは見事に裏切られた。以来、文献については、公的機関、出版社、いずれにしても他者を当てにするのは止めよう。そう考えるようになったのである。古い雑誌を手許にして初めてわかることがある。巻末の編者・出版者の後記、彙報、投書、交換録といったものから読み取れる雑情報がそれである。神は細部に宿るの喩えを引くまでもない。
西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)