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ケ・ブランリ・トウキョウ『原初美術(アール・プルミエ)――マオリの木彫像』

2015.02.17-2016.02.07
SPECOLA


 第三回ケ・ブランリ・トウキョウでは、ニュージーランドの先住民マオリによる、洗練されつつ強烈な表現力を有する木彫像の名品を3点展示いたします。

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 ミュージアム・コレクションの位置づけは時代とともに変化する。かつて民族学標本とされていたものが、いまやアート・ワークとして扱われる時代である。近年、欧米のミュージアムでは、アフリカ、アジア、オセアニア、中南米など、非西洋圏由来の蔵品を、学術標本から美術文化財へ、転移させようとする動きが顕著になっている。その先陣を切ったミュージアムのひとつがケ・ブランリ美術館である。人類学や民族学の遺産が「プリミティブ・アート(原始美術)」と称される時代もあったが、未成熟というニュアンスを孕む呼称は、欧米の美学的尺度を基準にしたものであるため、最早使われなくなった。英語圏で「トライバル・アート(部族美術)」、仏語圏で「アール・プルミエ(原初美術)」と総称される非西洋圏文化遺産は、ライフ・スタイルのグローバリゼーションが急速に進行する時代にあって、生物多様性に比すことのできる、文明の多様性を示すものとして脚光を浴びている。ニュージーランドの先住民マオリの木彫像を見ると、われわれの有する造形感覚との違いを直ちに見て取ることができる。超越的な存在が正面観の人像で表現され、観者に向かって「あかんべえ」をしている。たしかに、地域的な偏差がなくはない。しかし、宗教や民族の違いを超え、広く世界各地に共通な表現や図像の見出されることもまた事実なのである。

西野嘉章

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ニュージーランド・アオテアロアのマオリ彫像

 マオリの芸術家が彫刻に象った人々の姿はティキと呼ばれる。ポリネシアでは、ティキとは初めて神格化された人を指す。その人々の姿はしばしばある部族の実際の祖先を表しており、その表現方法は様式化された特徴をもつ場合と自然主義的な特徴をもつ場合がある。明確な属性を有するいくつかの彫像もまた、マオリ世界を作り上げた神々を映し出している。専門彫刻家である「トフンガ」は自分自身を祖先の媒介者と考えており、祖先が彫刻家に自分たちの身振りを指示していた。
 これら2点の大型の彫像は、「ヴァヒ・タプ」と呼ばれる、神聖で秘匿された禁域に置かれたものである。そこは、最終的な葬送儀礼が行われるまで死者の身体が横たえられる場所であった。死者の身体の側に置かれたそれぞれの像には、その死せる人々が表されていた。同種の彫像は伝統的なマオリの村々を取り囲んでいた防御柵にも見られる。これらの表象は村民の力強さや誇り、そして警戒心を象徴するものであった。突き出された舌はこの警戒心の表現のひとつにほかならない。人々は近隣の部族を歓迎する儀式や戦闘の間、このように舌を突き出すことで敵対者にその意を訴えかけた。膨らんだ鼻腔や前方に突き出された舌は、死に立ち向かう生命の息づかいを目に見えるものとした。
 自然主義的な特徴をもつ男性像「ポウトコマナワ」は、それぞれの部族(イウィ)が所有する集会所(ワレヌイ)の屋根を支える中心柱の基部に彫られたものである。この集会所は村内の「マラエ」と呼ばれる場所に位置し、そこでは、村の慣習行事(結婚や葬送の儀礼、他部族の歓迎式など)が行われていた。この建物はその部族を創始した祖先を象徴している。集会所の内部にある「ポウトコマナワ」像はある名高い死者を表し、その死者の記憶を継承し、偉業を敬い、威信や威厳(マナ)を顕示することを託されている。腹部に置かれた両手は、祖先を表すひとつの約束事である。その顔には、部分的に刺青の文様が刻み込まれている。これらの幾何学的文様は自然界のかたちに由来し、個人の性別や年齢、帰属する部族、家系、身分を表す。

イヴ・ル・フール

企画構成:イヴ・ル・フール(ケ・ブランリ美術館コレクション部長)
後援:クリスチャン・ポラック氏+株式会社セリク

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ケ・ブランリ・トウキョウについて

 世界中にはさまざまな文明が生み出した力強く不思議な形態が存在する。その多様性は驚くばかりであるが、これらを日本で目にする機会は少ない。そこで、パリのケ・ブランリ美術館のコレクションから選りすぐりのアイテムをここに展示し、ひとつの邂逅の場として設えた。この展示は、周囲の東京大学コレクションと時に共鳴し、時に対立することで、見る者に対し、人類が大いに関心を寄せるべき問題を投げかけるだろう。本プロジェクトはケ・ブランリ美術館とインターメディアテクとの新たな文化的・学術的協働からなる。これによって、フランス国立ミュージアムが東京の中心に長期的活動拠点を獲得することになった。人々がもつ既存の世界観の転換を図るべく、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの諸地域から象徴的なアイテムを選定し、定期的に展示更新を行う予定となっている。本拠点がすべての文化、時代、領域の交叉する創造的結節点として機能するために、ケ・ブランリ美術館とインターメディアテクはいままでにない方法論を共有し、分野横断型のミュージアム活動を推進していく。

企画:東京大学総合研究博物館+ケ・ブランリ美術館
後援:クリスチャン・ポラック氏+株式会社セリク


ケ・ブランリ美術館

 ケ・ブランリ美術館は、2006年6月パリに開館した。アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカ美術を展示していたルーヴル美術館の「パビリオン・デ・セッション」を前身とする。ジャック・シラク元大統領(1995-2007年)が建設計画を推進し、建築家ジャン・ヌーベル(2008年プリツカー賞受賞)が設計を担当した。西洋中心主義を脱し、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの芸術や文明に対し、文化的・宗教的・歴史的影響が交差した複眼的な視点から、それらにふさわしい評価や解釈を行うことに活動の中心を置く。学術的・芸術的対話のための場所として、また、市民・研究者・学生・現代芸術家をつなぐ交流拠点として、さまざまな展覧会、コンサート、催し物、シンポジウム、ワークショップ、上映会を定期的に開催している。

ケ・ブランリ美術館 公式HP
写真© musée du quai Branly, photo Claude Germain

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