東京大学総合研究博物館研究部所蔵三宅コレクションのなかに、帝国大学医科大学本館前にて撮影された卒業記念写真がある。本写真の裏面に鉛筆書きより、1892(明治25)年という撮影年がわかる。中央には、独逸人教師二名が写る。前から三列目に立つのが、エルヴィン・フォン・ベルツ(1849–1913)で、チュービンゲン、ライプチヒの各大学に学んだ後、1876(明治9)年に来日し、はじめ生理学と薬物学を、後に内科学を教えた。ほかに、産婦人科学なども担当し、東京医学校時代から東京大学医学部に二十六年間の長きにわたって在任した。前から二列目に座るのが、ハイデルベルク、ベルリン、フライブルクの各大学で学んだユリウス・カール・スクリバ(1848–1905)で、1881(明治14)年に東京大学医学部に招かれ、外科のほかに、皮膚梅毒、裁判医学、眼科なども担当し、1901(明治34)年に退任するまで在職二十年に及んだ。本写真に見える詰襟姿の人物が学生、背広姿が当時の教師陣である。本写真の旧蔵者で、東京大学初代医学部長を務め、撮影当時は帝国大学医科大学長の職を辞して貴族院議員となっていた三宅秀(1848–1938)はスクリバの右隣に座る。本写真の撮影場所である医科大学本館は、1876(明治9)年竣工、東京医学校が神田和泉橋通から本郷旧加賀屋敷跡(当時文部省御用地)に移転新築された際に作られた。屋上に時計台のある木造二階建ての擬洋風建築で、南向きの正面中央に立派なバルコニーのある玄関を備えていた。本写真の背景にその玄関の様子が見える。コロタイプ印刷で作られた本写真は、外側四方が切断されており、左下の印字も欠けているが、小川一眞(1860–1929)製と読み取ることができる。小川は、渡米してボストンで写真術とコロタイプ印刷術を学び、帰国後の1885(明治18)年に写真館を開業し、のちにコロタイプ印刷会社も経営した。1900(明治33)年の写真帖『東京帝国大学』をはじめ、東京大学に関係した写真製版印刷を多数手掛けている。今日、卒業シーズンを迎えると、学びの窓に学生と教師が立ち並ぶ卒業記念写真は定番として撮影されるが、本写真はおそらく日本で最初期の卒業記念写真であると考えられる。特集『学びの窓―アカデミアの東京大学医学部ゆかりのコレクション』では、3月21日から4月23日まで、本写真の拡大複製の特別公開を行う。
寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)
Ayumi Terada