JP Tower Museum INTERMEDIATHEQUE
HAGAKI
RESEARCHERS COLUMN

オリエント考古美術の話(3) 「正倉院宝物に似たカット・グラス」(続)
Sasanian Glass Vessel and Ancient Japan (Part 2)

 で、深井教授を感激さしめたササン朝ペルシャのガラス碗が総合研究博物館にあるのかと言えば、ない。それどころか、深井報告を機に1960、1970年代に大量に持ちこまれた類似のガラス碗が日本各地の博物館、美術館に所蔵されているにもかかわらず、肝心の東京大学には一品も残されていない。人気の故か、散逸してしまったようなのである。これでは、シルクロード東西文化交流史の研究を開いた大学として残念きわまりない。そのような不平を長らく抱いていたところ、2008年になって、瑠璃碗の引取先を探しているという話がまいこんできた。そこで、迷うことなく入手したのが展示品である。譲ってくださったのは、1964年から1965年にかけてテレビ番組作成のためイラク・イラン江上波夫調査団に同行したクルーのお一人である。テヘランの骨董店で入手なさったとのこと。見栄えはともかく、本作品、きわめて興味深い。何がかと言うと、深井教授が1959年に朝日新聞、後に美術史学雑誌『国華』で発表したガラス碗(写真)と瓜二つの作りだからである。ササン朝のカットグラスにもさまざまある。例えば、特徴的な円形切り子の数も多様である。ところが、本作品は、深井教授が最初に報告した碗と全く同じで三段、各15個ずつ。さらに言えば、全体の寸法もミリ単位の違いしかない。どうして、こんなに似通ったガラス容器の生産が可能だったのか。工房が同じだったのだとは思うが、ササン朝工芸の技術力には舌をまく。要するに、展示のガラス碗は、東西文化交流をモノから論じる契機をつくった標本がどんな碗であったかー今は散逸してしまったのだがーそれを伝える代替の一品ということになる。展示をご覧になる方々には、この標本から半世紀以上も前の深井教授の感激を感じていただけるだろうか。
●写真3 深井教授が報告した最初のカットグラス(現在、所在不明)

西秋良宏(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館館長/教授)
Yoshihiro Nishiaki

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