明治詩壇の先駆的詩人として知られる薄田泣菫は、大正期以降の後年は随筆を多く書いた。随筆集『艸木虫魚』に収められた「赤土の山と海と」では、郷里岡山の水島灘近くの小高い赤土の松山での思い出を回想している。ロシアの詩人・思想家のメレジュコオフスキイの『先駆者』を引き合いに、少年時代にダ・ヴィンチのような導き手をもたなかった泣菫は、一人で松山を歩き学んだとある。そのエピソードに、イチヨウラン(一葉蘭)が出てくる。葉を一つのみつけるというのがその名の由来であるように、葉も花も一つずつの「乏しい天恵」の下でも自分を娯しむ生活を営んでいる姿を、泣菫はイチヨウランに見た。『樹下石上』の「小さき花」にもイチヨウランは登場し、深山の木の下陰にたった一つずつの葉と花をもっているに過ぎない「謙遜な生まれつき」と描写される。山田壽雄の描いた本図のイチヨウランは八ヶ岳産で、図の制作年代は1917(大正7)年7月9日であることが書込みからわかる。植物画家としての山田の仕事とは、植物の構造的特徴を正確に記録することである。それに徹すればこそ、本図には、特に描き手の感情を読み取るようなところはない。しかし、清貧な尼や素朴さを残した無名詩人といった泣菫の例えを重ね合わせることで、林床に生育する葉一つ花一つの小形の蘭というイチヨウランの特徴は、より鮮明に私の脳裏に焼きついた。本図を公開する特別展示『蘭花百姿−東京大学植物画コレクションより』は9月26日で終了。現在は、同名の書籍刊行に向けて準備を進めている。
寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)
Ayumi Terada