創刊号の重要性は論をまたない。後続の方向を決定づけることになるからである。特集テーマは当初の計画通り、「アート&サイエンス」となった。A三判の版型選択は、多分に戦略的なものでもあった。なにか新しい事業を興すさい、それに関する情報のインパクトをどれだけ強く、大きくできるか、それが鍵になる。存在感のある、贅沢な装いが、「ニュース・レター」を標榜する定期刊行物の一般的なイメージを裏切るようにする、それが戦略である。腰帯には次のような惹句を掲げた、「ホラティウスからこのかた、詩と絵画は姉妹芸術と見なすのが習わしである。アートとサイエンスについても、同様の論が成り立たぬではない。両者は互いに助け合う兄弟のごときものなのではないか。とすれば、これはアートなのか、サイエンスなのか、と二者択一を問うてはならない。これはアートであり、サイエンスである、と言い切らねばならないのである。インターメディアテク(IMT)を舞台に、モード、ダンス、演劇、音楽、映画の各分野で、その臨界点を探ろうとする動きがいま始まろうとしている」。学術研究の成果と表現メディアの融合は、一九九六年の総合研究博物館の立ち上げから一貫して掲げてきたテーマである。そのためのプラットフォームを丸の内に用意したい。これが云わんとするところであった。発行日は二〇〇九年一〇月一日。出版が決まってからちょうど六ヶ月後のことであった。用語はフランス語。邦語のテキストは別刷りで、差込とした。A三判の観音開きを二ヶ所で採用し、厚手の舶来用紙「ヴァン・ヌーヴォー」とする、無綴じの冊子である。ために、郵送用の大型封筒を特注する必要もあった。刷り上がった『Intermedia』創刊号を手にして、その、多分に時代錯誤的な容姿から、戦時中に発行された国策宣伝雑誌『フロント』のことを思い出したのは、わたし独りだったろうと思う。国を挙げての出版物であったことから、その堂々たる威風には眼を見張るものがあったのであるが、サイズが大きく、目方が重すぎて、海外配布に支障を来したという逸話が残されている大判雑誌である。今日の流通事情ではそこまでのこともない、と思いたい。
西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)
Yoshiaki Nishino