栗本丹州(1756-1834)が著した『千蟲譜』は、その名の通り虫類についてまとめられたものである。当時の虫類の範囲は現在「虫」と呼ばれているものよりかなり広く、カニ、ナマコ、コウモリ、カエル等も含まれている。実物は既に消失したとされており、画像は二十点以上ある写本のうちの一点とされている。このページに描かれている「三足蟾蜍」は、三本足のヒキガエルの標本である。この三本足の蛙は、宝暦(1751-1764)のときに下野州都賀郡田所村(現在の栃木県)で採集され、薬水で満たした硝子壜におさめられ保存された。壜の口と蛙の口の間に糸のようなものが見えるが、これは蛙が外から良く見えるように固定するためのものであろう。所有者は田村元雄とある。田村元雄は栗本丹州の実父で本草学者である田村藍水(1718-1776)の通称と同一である。田村藍水は、平賀源内の発案で薬品会を主催した際に硝子壜の中の薬水に浸した蛤蚧(オオヤモリ)と鼉龍(だりゅう、カアイマンと併記されていることからカイマンのことと思われる)を出品しており、その図が『物類品隲』に描かれているのだが、硝子壜の口を紙と思しきもので覆いそれを紐で固定している形式は、この図に描かれている壜の様子とたいへん似通っている。液浸標本は今となっては良く知られた保存形態であるものの、江戸時代当時は西洋から伝わった最先端の知識であった。そのような知識に触れ得る人間は限られていたと予想できることからも、ここに記されている田村元雄は田村藍水のことで間違いないであろう。「今ニ於テ其家ニ秘蔵ス一奇ト云フベシ」と書いていることから、栗本丹州は三本足の蛙を直接見て描く機会があったと考えられる。
秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)