3階に展示中の「山田壽雄植物写生図」のリンドウは、裏面に「大正3.10.16」の日付と「赤羽根附近」「牧野先生ト」の書付が確認できる。植物画家・山田が、ある秋の日に植物学者・牧野富太郎と出かけた折に採集したリンドウを描いたことがわかる。リンドウが登場する小説に伊藤左千夫の『野菊の墓』がある。題名の野菊とはヒロインの民子を表すが、主人公の政夫が進学を理由に民子と別れる前に過ごした秋晴れの一日の描写に、野菊とともに登場する印象的な花がリンドウなのである。お互いを慕う思いをストレートに伝えられない二人。政夫は「僕はもとから野菊がだい好き」「民さんは野菊のような人だ」と民子のために摘んだ野菊を介して恋心を表白する。これですぐに何かが起こるわけではない。しばらくおいて、今度は民子がリンドウの花を手に採って「わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった」「政夫さんはりんどうの様な人だ」と返す。この表現の機微は、初読の頃、政夫や民子と同じくらいの年だった私の生硬な心には正直あまり響かなかった。しかし、山田の描いたリンドウから久方ぶりに思い出し、結ばれることのない二人の運命と民子の死という物語の結末を知りながら改めて読むと、あまりの切なさに涙が止まらなかった。
寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)