渡部鍬太郎(1860−1905)は、1881年から1893年にかけて、小石川植物園(現・東京大学大学院理学系研究科附属植物園)で植物写生に従事した画工であった。号を金秋といい、東大画工のかたわら明治美術会や挿絵の分野でも活動した。シャリンバイの描かれた本図(1888年制作/東京大学総合研究博物館蔵)は、渡部鍬太郎の手になるものだ。葉の光沢や実の立体感が水性絵具でよく表されているように思う。植物学者・伊藤篤太郎は1881年頃の小石川植物園を振り返って「渡部鍬太郎といふ若い画工が居た。渡部画工は矢田部教授の羊歯類などの画を写生して居た。併し矢田部氏自身は植物園へは来られなかつた様である」と記している(「伊藤圭介翁と小石川植物園」『東京帝国大学理学部植物学教室沿革』小倉謙編/1940年)。画工になって間もない渡部は、依頼主である教授・矢田部良吉が不在の中、どうやって植物画を制作していたのだろう。折しも1881年頃の植物園では、東京大学の員外教授に招かれた伊藤圭介が『小石川植物園草木図説』編纂に向けて、熟練の画工・加藤竹斎に数多くの植物画を作らせていた。植物園の日常に植物写生があった光景が思い浮かぶ。
藏田愛子(東京大学総合研究博物館特任研究員)