考古学者の大野延太郎(1863-1938年)は東大人類学教室にて学術標本を専門に描く画工でもあった。号は雲外。1893年から1904年頃の『東京人類学会雑誌』には、大野のサイン入りの図版をいくつも見ることができる。大野の重要な仕事の一つに、1895年頃に開始された「模様集」の制作があげられる。1916年刊行の『人種紋様(先住民の部)』(芸艸堂蔵版/多色木版刷り/18.7×27.8cm/書名は当時のまま)には、土器や土版の文様を単純化し、土器本来の色とはことなる彩色を施した模様の数々が載っている。ここで繰り返される曲線的な文様は、土器表面に施された文様を横方向に展開することで見出される。各模様のもとになった考古遺物には、東大人類学教室や東京帝室博物館(現東京国立博物館)の所蔵品が含まれる。考古学者兼画工であった大野は、研究対象である土器類の形や文様に雅致を見いだし、それを染織物や工芸品の図案に応用することを思いついた。学術標本をデザイン化して世に出そうとした大野の試みに興味を惹かれる。
藏田愛子(東京大学総合研究博物館特任研究員)