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HAGAKI
RESEARCHERS COLUMN

インターメディアテク・レコード・コレクション(15)
ジャズ組曲の限界

 1943年1月23日、ニューヨークの名会場カーネギー・ホールは満員だった。来場者はデューク・エリントンが作曲した組曲「ブラック・ブラウン・アンド・ベージュ」の初演を聴きに訪れていた。エリントンにとってこの大イベントはキャリアの標石であり、黒人としての勝利でもあった。マエストロとされていたものの、短い「ソング」というジャズの定型を超えて、クラシック由来の複雑な形式に挑戦するのは初めてだった。ところが、翌日から新聞に載った批評は容赦なかった。「無形にして無意味」、「曲の寄せ集め」「虚偽のクライマックスに満ちている」。最も問題視されたのは、エリントンの異端の作曲法であった。短いメロディーを繋いでも大作にはならない。エリントンはこの屈辱を払拭することなく、1943年以降、ライブで本作を通しで演奏することがなかった。しかし1945年には前年末の録音が同じ題名でヴィクターから発売された。12インチSP盤4面に亘る、名曲の文字通りのコンピレーションである。これを聴くと、エリントンの作曲法がどこまでSP盤の時間的制限に影響されたのかが気になるところである。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

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