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HAGAKI
RESEARCHERS COLUMN

インターメディアテク・レコード・コレクション(6)
スキャット伝説

 ジャズ演奏のなかで独自のスタイルを持った歌唱が定着し、ヴォーカル・ジャズがジャンルとして成立したのは1920年代後半のことである。1925年末にバンドを立ち上げ、積極的に歌い始めたルイ・アームストロングの貢献は少なくない。当時流行していた白人のポピュラー音楽における滑らかにして古風な歌に対し、「サッチモ(アームストロングの愛称)」のざらざらした声が一世を風靡したこと自体が象徴的な現象だった。ところが歌手サッチモにはもう一つの業績がある。1926年2月26日、オーケー社のシカゴ・スタジオで、ヴァイオリン奏者ボイド・アトキンズ作曲の「ヒービー・ジービーズ」が吹き込まれる。これは録音に立ち会った伴奏者たちやプロデューサーものちに裏付けた話だが、アームストロングの回想によると、彼は歌詞が書かれた紙を手にして歌っていたが、紙を落としてしまい、録音を無駄にしないために、応急処置として無意味の音を羅列して歌い続けた。そこで「スキャットが生まれた」という伝説がいまだに根強い。実際のところ、クリフ・エドワーズやドン・レッドマンが先にスキャットを吹き込んでいるのだが、彼らはこのような「伝説」を産むには至らなかった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

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