建築を映画のように設計できるだろうか。建築も映画も「空間」が基調となり、そこで人間の活動が展開する。映画監督が執心しながら、建築家にはコントロールしがたいもの。それは「動き」と「時間」ではないか。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、『シネマ1』および『シネマ2』において、運動イメージと時間イメージという概念を提起した。リュミエール兄弟による列車到着シーンのような時間が運動に従属する「運動イメージ」から、運動が時間に従属する光学的音声的状況としての「時間イメージ」への転換が映画のなかで起きているという。この考え方を受けとめるなら、おそらく建築側の関心は、運動や時間を今いちど空間に結びつける可能性を探ることにあるだろう。機能的なプログラムを一つの建築に対置させるのではなく、人間の意思と行動に依拠して「運動、時間、空間」を再編成し、ある種の「時空間連続体」を組み立てる。そのような建築は、道のような流れがあり、網目のような繋がりをうみ、モザイクのような多様性をもち、雲のような曖昧さをはらみ、そして何より、映画のような運動/時間の自由度があるものかもしれない。法政大学大学院の下吹越武人さんと、以上のようなテーマでデザインスタジオをやることになった。
松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)